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心理療法における癒しの機序:「物語的な癒し」から「コスモロジーによる癒し」へのパラダイム転換と相補性~河合隼雄の「物語」と河合俊雄の「コスモロジー」

 

1. はじめに

心理療法における「癒し(Healing)」は、単なる症状の消失や社会適応の回復という医療モデル的・還元主義的な枠組みに留まるものではない。深層心理学を中心とする心理療法において、治癒とはクライエントの存在のあり方が根本的に再編成され、世界と自己との関係性に新たな意味が見出されるプロセスを指す。

 

しかし、ポスト・モダン哲学の進展は、こうした「一貫した自己」や「単一の意味」の回復という治癒像そのものに疑義を呈してきた。

 

J.F.リオタール(1979/1986)が指摘した「大きな物語の終焉」は、心理療法における治癒の定義を、普遍的な自己実現から、断片的でローカルな意味の生成へと変容させている。

 

本稿では、この癒しのプロセスを理解するための二つの強力な理論的枠組みとして、「物語(Narrative)」と「コスモロジー(Cosmology)」という概念を取り上げる。

 

日本におけるユング心理学の導入者であり、独自の臨床思想を構築した河合隼雄は、心理療法を「クライエントが自らの物語を創造するプロセス」として捉え、「物語的な癒し」の重要性を説いた(河合隼雄, 1997

 

一方で、その後継者であり、現代の変容する病態に対して理論的刷新を図ってきた河合俊雄は、「物語」を編む近代自我そのものの限界を指摘し、前近代的かつ客観的な世界秩序としての「コスモロジーによる癒し」を提唱している(河合俊雄, 2004)。

 

本稿では、臨床心理学・深層心理学の観点から、これら二つのパラダイムの理論的背景、治癒のメカニズム、および現代臨床における両者の相補的意義について、両氏の論考を参照しながら詳述する。

 

2. 心理療法における「物語的な癒し」:河合隼雄の視座を中心に

「物語」の臨床的定義と人間の存在論的基盤

河合隼雄(1997)は、『心理療法と物語の働き』において、人間を「物語を生きる存在」として位置づけた。ここでの「物語」とは、単なるフィクションや過去の出来事の羅列ではなく、断片的な体験や無意識からの混沌としたイメージに因果律と意味を与え、ひとつの連続した「私」という主体を成立させるための存在論的な基盤である。

 

近代科学は事象を客観的かつ要素還元的に記述しようとするが、人間の生きられる現実は主観的な意味のネットワーク(すなわち物語)によって構成されている。河合隼雄は、個人の内的世界において、意識と無意識の間に橋を架け、人生の無意味さや不条理に耐えうるだけの意味論的枠組みを提供するのは「物語」の機能であると論じた。

 

病理の発生と「物語」の破綻

河合隼雄の枠組みにおいて、神経症や精神疾患といった心理的「病」は、「これまで生きてきた古い物語が、内的な成長や外的な環境変化に耐えきれず、有効性を失い破綻した状態」として理解される。自我が固守する古い物語と、無意識から湧き上がる新たな生命のエネルギー(影やアニマ/アニムスの欲求)との間に深刻な乖離が生じたとき、その葛藤は「症状」として立ち現れる。

 

ここで重要なポスト・モダンの視点は、M.フーコー(1976/1986)が論じたように、こうした「古い物語」自体が社会的な規律訓練や権力言説によって内面化された「支配的な物語」である可能性である。物語の破綻は、近代的な主体という抑圧的な枠組みからの解放の側面を持ち合わせている。

 

症状は、古い物語の破綻を告げる警告であると同時に、新たな物語の生成を要求する無意識からのteleological(目的論的)なメッセージでもある。河合隼雄は、この症状の持つ意味を解読し、クライエント自身の内側から新しい物語が立ち上がるのを待つことの重要性を説いた。

 

共創プロセスとしての心理療法と「癒し」

物語的な癒しとは、セラピストという他者の存在(器)を媒介として、クライエントが自らの崩壊した物語を紡ぎ直し、より全体性を包含した「新たな神話(個人的神話)」を生成することである。

 

この過程において、セラピストはクライエントの物語を一方的に解釈したり、外側から正しい物語を与えたりする「権威者」であってはならない。これは、R.バルト(1967/1988)が提唱した「作者の死」の臨床的応用とも言える。

 

つまり、セラピストが「意味の源泉(作者)」であることを放棄することで、クライエントという「読者」による自由な意味の生成を可能にするのである。河合隼雄(1992)は、日本神話の「中空構造」に言及しつつ、セラピストは自らの心を「無(空)」にしてクライエントに寄り添い、共に物語を生きる「共創者」としての態度(近年ネガティヴ・ケイパビリティと言われるようになったもの)を保持すべきであると主張した。

 

3. 「コスモロジーによる癒し」:河合俊雄の視座を中心に

「物語」パラダイムの限界と病態水準の変容

河合隼雄の物語論は、神経症水準のクライエントに対しては極めて有効に機能した。しかし、現代社会において臨床の主戦場は、境界性パーソナリティ障害、解離性障害、発達障害、あるいは重度のひきこもりといった、より基底的な病態へとシフトしている。

 

河合俊雄(2004)は、これらの現代的な病態に対して「物語による癒し」が機能不全に陥っていることを鋭く指摘した。ポスト・モダンにおける「主体の解体」が進展した状況では、G.ドゥルーズ(1968/1992)が説く「器官なき身体」のように、統合された自己という前提そのものが無効化されている。

 

物語を紡ぐためには、そもそも「私」という連続した主体(近代自我)が確立されている必要があるが、解離や発達の偏りを持つ現代のクライエントの多くは、物語の「語り手」となるべき自我そのものが脆弱であるか、未形成である。彼らに「自らの物語を生きる」ことを要求するのは、存在しない自我への過剰な負担となり、かえって自己組織化の崩壊を招く危険性がある。

 

コスモロジー(宇宙観・世界秩序)の再導入

この「物語の語り手(主体)」の不在という臨床的危機に対し、河合俊雄(2006)が提示した治癒のパラダイムが「コスモロジー(Cosmology)」である。コスモロジーとは、個人の内面や主観を超えた、外部に存在する客観的な意味の体系、あるいは前近代的な世界秩序(宇宙観)を指す。

 

近代心理学は「意味や心は、個人の内面にある」という前提に立ってきたが、河合俊雄はW. ギーゲリッヒの「客観的プシュケ(Objective Psyche)」の概念も踏まえつつ、心の本質は個人の内部に還元されるものではなく、世界という広がりの中に遍在していると捉え直した。あるいはさらに言えば我々の個々の存在は、魂という世界の中に存在しているとした。

 

これは、ポスト構造主義が指摘した「主体とは構造の派生物である」という洞察と軌を一にするものである。

 

外部の秩序への「配置」としての癒し

コスモロジーによる癒しとは、クライエントが「自らの力で内面から物語を紡ぎ出す」ことではなく、治療の場に立ち現れる「外部の秩序(コスモロジー)の中に、クライエント自身が『布置』される」ことによって生じる。

 

セラピストに求められるのは、クライエントの内面に共感することではなく、箱庭、描画、あるいは面接室における事物や身体的な布置(コンステレーション)の背後に働く「自律的な事象の法則性(コスモロジー)」を発見し、それを客観的に記述・承認することである。

 

具体的には、クライエントの内部(それは夢や箱庭や描画を通じて知ることになるが)から、何らかの秩序が立ち上がるのを期待しつつ待ち、それが立ち現れたなら、逃すことなく、認識する(言語化するかどうかはケースバイケース)ということになる。

 

あるいはセラピストがいわば世界(の代表)となり、クライエント個人に間接的に秩序をもたらすという感じである(このような主語と述語を持った現代的な文章では表現できないのだが。。。)。

 

ドゥルーズ&ガタリ(1980/1994)の用語を用いれば、これはツリー型(因果律的な物語)の癒しから、リゾーム型(並列的・非階層的な接続)の癒しへの転換と言い換えることができるかもしれない。

 

河合俊雄(2016)によれば、バラバラに解離していた事象が、ある「客観的な秩序(星座)」として結びついたとき、自我の統合を待たずして、事象そのものが自律的に癒しをもたらす。個人が意味を作るのではなく、世界(コスモス)の側が個人に居場所と秩序を与えるのである。

 

4. 臨床的統合と展望:物語とコスモロジーの相補性

近代自我と前近代の交錯

河合隼雄の「物語的な癒し」と河合俊雄の「コスモロジーによる癒し」は、一見すると対立するパラダイムのように見える。前者は近代的な「個」の確立を目指すベクトルであり、後者は近代自我の限界を見据え、個の外部にある「環境・世界との不可分性」へと向かうベクトルである。

 

しかし、臨床の実際においては、これら二つのパラダイムは相補的・重層的に機能する。現代のクライエントは、近代的な自我を確立しなければならないという社会からの圧力に苦しむ一方で、その重圧に耐えきれず前近代的な未分化の状態へと退行・解離しているからである。

 

パラダイムの臨床的使い分けと移行

実際の心理療法においては、クライエントの病態水準や面接のフェーズに応じて、セラピストがこれら二つのパラダイムを意図的に往還することが求められる。

 

重篤な解離を呈するクライエントに対しては、初期段階において「コスモロジーによる癒し」が主導権を握る。感覚統合的なアプローチを通じて、言語化できない身体感覚や事象を「あるがままの秩序」として見出していく。その後、コスモロジーの安定したコンテナの中で事象が繋がり始めた段階で、初めて「私」という主語が立ち上がり、河合隼雄的な「物語的な癒し」への移行が可能となる。

 

逆に、強迫的な一貫性の物語に囚われたクライエントに対しては、C.レヴィ=ストロース(1962/1976)が説いた「ブリコラージュ(手近な材料の寄せ集め)」のような、断片的で非合理なコスモロジーを導入することで、硬直した物語を脱構築することが治療的意義を持つとも考えられる。

 

5.臨床事例を通じたパラダイムの往還と統合

架空の臨床事例:A氏(20代前半・大学生)の夢分析プロセス

ここで、これまでの論考をより現実に着地させるために臨床事例を呈示してみたい。

 

近代自我の解離と前近代的な事象の混淆を呈したA氏の事例(守秘義務に配慮し複数のケースを合成した架空事例)を通じて、両パラダイムがいかに臨床現場で交差するかを記述する。

 

【主訴と見立て】

A氏は大学進学を機に「自分が自分でない感覚(離人感)」と「言葉がまとまらない」という症状を呈し、休学・ひきこもり状態となっていた。初回面接においてA氏は自身の生い立ちや苦悩を「物語る」ことができず、断片的な身体感覚を呟くのみであった。これは、近代的な「語る主体」が機能不全に陥っている状態だと考えた。

 

【第1期:語りの不全とリゾーム的空間(コスモロジー的介入)】

面接が数回進んだ頃、A氏は「ひたすら幾何学的な図形が明滅し、金属音が響くだけの空間」という、自分自身(夢自我)が全く登場しない無機質な夢を報告した。

 

セラピストはここで「その図形は何を意味するのか」「どう感じたか」と問う(抑圧された内面の物語として解釈する)ことを控えた。むしろ、この夢を個人的な葛藤の産物ではなく、C.G.ユングの客観的プシュケ、あるいはドゥルーズ&ガタリが言う「リゾーム(中心や主体のない接続)」的な事象のありのままの現れとして扱った。セラピストは意味の還元(ツリー型解釈)を保留し、その無機質な夢の空間(コスモロジー)をただ共に眺める「証人」に徹した。

 

【第2期:秩序の生成とブリコラージュ(パラダイムの移行)】

数ヶ月間の面接を経る中で、A氏の夢に変化が生じた。

 

無機質な空間の中に「境界線」のような川が現れ、明滅していた図形が「冷たい石碑」として特定の場所に「布置(コンステレーション)」されたのである。ある日、A氏はこの夢を語り終えた後、ふと「この石碑の冷たさは、ずっと凍りついていた私の胃の底の感覚と同じだ」と自発的なメタファーを用いた。

 

ここで、客観的な事象の秩序(コスモロジー)の中から、夢のイメージと身体感覚という手近な素材を結びつけ、自らの体験に意味を与える「ブリコラージュ(野生の思考)」が発生した。

 

【第3期:「私」の立ち上がり(物語的介入)】

さらに後の夢では、ついにA氏自身(夢自我)が夢の中に登場し、その石碑に触れるという行動をとった。

 

これを契機に、セラピストは徐々に「物語的パラダイム」へと移行した。

 

A氏の夢に現れた「私」という主語を足場として、「石碑に触れたとき、あなたはどこへ向かおうとしていたのでしょうか?」と、事象に時間軸と因果律(物語)を付与する問いかけを行った。

 

A氏は徐々に、休学に至るまでのプレッシャーや親との葛藤を、自分自身の言葉で「一つの個人的神話」として紡ぎ始めた。

 

事例の理論的考察

このA氏の事例は、前述したポスト・モダンの諸概念を臨床的現実に着地させるものである。

 

リゾームとコスモロジーの調停

超越論的・前近代的な「コスモロジー」と、非階層的な「リゾーム」は対立するように見える。しかし臨床空間において、セラピストが「解釈しないこと」によって維持する「夢という客観的現実(局所的なコスモロジー)」があるからこそ、クライエントはその内部で安全に自己を解体し、リゾーム的な断片として存在することができる。

 

すなわち、「コスモロジー的コンテナ(器)の内部においてのみ、リゾーム的な癒しは成立する」という重層構造が見出される。

 

パラダイム移行のトリガー

物語とコスモロジーのパラダイム・シフトは、セラピストが恣意的に操作するものではない。

 

事例が示すように、無意識の自律的な秩序(夢の布置)に身を委ねる中で、クライエント自身の内側から「事象をブリコラージュし、『私』という主語を取り戻す瞬間」が立ち現れる。

 

セラピストの役割は、この微細な主体の萌芽を見逃さず、客観的観察者(コスモロジーの証人)から、共創的な対話者(物語の伴走者)へと自らの立ち位置を滑らかに移行させることである。

 

. おわりに

心理療法における治癒のメカニズムは、時代精神や病態の変容とともに進化してきた。

 

河合隼雄が提示した「物語的な癒し」は、近代社会において内面の葛藤に苦しむ人々に対し、自らの人生の意味を再構築するための強力な方法論を提供した。

 

一方、河合俊雄が提唱する「コスモロジーによる癒し」は、近代自我が崩壊した現代の病理に対して、個人の内面を超えた客観的プシュケや世界秩序との再接続という新たな救済のパラダイムを切り拓いた。

 

ポスト・モダンという不確かな時代において、癒しとは「一つの正解としての物語」に到達することではない。むしろ、物語とコスモロジーの間を絶えず揺れ動きながら、固定的な自己イメージを脱構築し続けるプロセスそのものが、現代的な「癒し」の正体であると言えるだろう。

 

現代の心理職には、この両翼を併せ持つことによってのみ、複雑化する人間の苦悩に真に応答することが可能となると私は考える。

 

引用文献

河合隼雄 (1992). 『昔話と日本人の心』 岩波書店.

河合隼雄 (1997). 『心理療法と物語の働き』 岩波書店.

河合俊雄 (2004). 『概念の心理学・物語の心理学』 日本評論社.

河合俊雄 (2006). 『心理臨床の広がり』 岩波書店.

河合俊雄 (2013). 『ユング派心理療法』 ミネルヴァ書房.

河合俊雄 (2016). 『心理療法と交錯する世界』 創元社.

J.F. リオタール (1979/1986). 『ポスト・モダンの条件』 小林康夫訳, 評言社.

M. フーコー (1976/1986). 『性の歴史I 知への意志』 渡辺守章訳, 新潮社.

R. バルト (1967/1988). 『物語の構造分析』 花輪光訳, みすず書房.

G. ドゥルーズ (1968/1992). 『差異と反復』 財津理訳, 河出書房新社.

G. ドゥルーズ&F. ガタリ (1980/1994). 『千のプラトー』 宇野邦一ほか訳, 河出書房新社.

 

C. レヴィ=ストロース (1962/1976). 『野生の思考』 大橋保夫訳, みすず書房.

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