(本年6月末に久々の単著「プロカウンセラーの人を見る技術」が出版されます。ここでは、その中の1節をにさらに加筆したものを紹介いたします。以下のリンクから立ち読み・予約可能です
内閣府による令和4年の調査によれば、孤独感が「しばしばある・常にある」と回答した人の割合は4.9%、「時々ある」が15.8%、「たまにある」が19.6%でした。これらを合計すると40%を超えている計算になります。そして令和5年の調査と比較しても有意に増加していることが確かめられています。
この調査はインターネットによる2万人を対象としたものですが、本当に孤立している人はこのような調査に答えないかもしれないという意味では、実際はさらに高い割合になっているかもしれません。
さらに別の研究として、岩村暢子氏の『ぼっちな食卓』(中央公論新社、2023年)が注目に値します。氏の20年にわたる追跡調査によると、子どもが小学校・中学校という早い時期から家族そろっての食事にこだわらず、各自が好きなときに好きなものを食べるというスタイルになっていた家庭ほど、10年後、20年後に引きこもりや不登校、無断外泊が多くなる確率が高いとしています。
また、こうした家庭の特徴として「貧困」や「親の多忙さ」「複雑な家庭事情」などは認められず、その多くが「リクエスト食」と言われる子どもが小さいときからリクエストに応じて好きなものだけ食べさせた家庭や、「セルフ食」と言われる自分でコンビニで買わせたり、冷蔵庫の中の好きなものを「レンジでチン」して食べさせた家庭だったとしています。
このように、一見「自由と主体性」を早くから保証した家庭生活の方が、子育て環境としてはかえって望ましいものではなかったのです。
これは一体どういうことでしょうか。
さらにもう一つ興味深い指摘として、石田光規氏の『「人それぞれ」がさみしい』(ちくまプリマ―新書、2022年)があります。本書の中で石田氏は、「人それぞれ」という個人化が進んだ社会において、近隣や勤め先、親戚などの「余計なおせっかい」がなくなり、人が自由を満喫できるようになった反面、対人関係でトラブルになってもそれを修復するシステムが失われたために、若者の中で「友人であっても気を遣って、なかなか深い話ができない」人が年々増加して、結果的に「つながり」が不安定になっていると指摘しています。そして、この「不安定なつながり」を何とかしようとして、気遣いや「感謝」「嬉しい」といったポジティブな感情表現があるしっかりとした「コミュニケーション」を大切にするけれども、結果的には「ふれあい回避」になり、孤独感が高まっている様子を様々なデータから考察しています。
こうした状況を大きな流れの中で考えると、私たちはこの100年ほど、「いかに家族や共同体(村社会など)から解放されて自由になるか」を求めて生きてきたと言えます。故郷から離れて都会に移り住むこと。親の干渉を受けずに結婚相手を決めること。そして家ではそれぞれの部屋を確保して、干渉しすぎないで生活すること。さらにテレビや電話に代表される通信機器は、共有せずに個々人が所有して使うことなど。望むと望まないにかかわらず、私たちは「個別化」の急速な流れに乗っています。
そして家族そのものも、大家族から核家族へ、そして単身家庭の増加へと至ります。その流れの中で食事も、大家族が一室で同時に食べる形から、家族はいてもバラバラな食事に、一人暮らしの人は当然ながら「個食」になりました。このような個別化によって、私たちは自由や効率性などを手に入れてきたことは間違いないでしょう。
けれども、この個別化が「孤独化」をもたらし、さらに個食というスタイルは、少なくとも子どもたちには悪い影響を与えることがわかっています。
心理療法も「個」を重んじるものから「温かさ」と「つながり」を重んじるものに
このような流れを受けて、現代心理療法は「内省を通じて個を確立する」というものから「温かさを大切にして、つながりやアタッチメントの修復を大切にする」というものへと変化しつつあります。
内省を通じて個を確立するためには、カウンセラーからの余分なアドバイスや肯定は要りませんし、距離もやや遠めがいいということが分かります。けれども温かさを大切にして、つながりやアタッチメントの修復をするならば、カウンセラーのできるだけ誠意のあるアドバイスや肯定、近い心理的距離からの介入が必要となってくるわけです。
これは、フロイトもユングも(おそらく森田療法の森田正馬や、内観療法の吉本伊信も)大家族の中で日々暮らしていたことを考えても想像できるところです。そして、ユングが晩年は石ノ塔にこもって一人で生活していたということも、時代の先取りともあるいは、東洋的ともいえるかもしれません。この点に関しては、近い機会にまた別のブログで書いてみたいと思います。
子育てから効率性を排除する
プロカウンセラーとしての私は、時としてこの効率化とコスパ重視の社会に背を向けて、「効率性を排除しましょう」とアドバイスせざるを得ないことがあります。
それは思春期の子どもが、反抗的な態度で非行傾向を示して、夜はなかなか家に帰ってこず、繁華街の路上で長時間を過ごしているといった行動が明らかになったときです。この子たちの言動を細かく見聞きすると、明らかに親の愛情不足を訴えていて、そこから来る孤独感を何とかしようとして非行化していることがわかるのです。
そういうとき、私は親御さんに「できるだけ手間をかけましょう。干渉したりコントロールするのではなく、手間暇をかけるのです」「もし学校のことや勉強のこと、お金のことやその他のことで『どうするのが正解か』迷ったら、『手間暇のかかる方』を選んでください。送り迎えでも、食事でも、塾選びでも何でもかまいません。それが今、愛情を伝える唯一の方法です」と伝えます。
晩ご飯をどうするか迷ったときには、たとえ子どもがコンビニ食を希望しても、わざわざ手作りのご飯を作る方がいいのです。
このアドバイスを親御さんが実践していくと、子どもの非行や外泊はだんだんと減っていきます。もちろん、過干渉で問題が生じていると思われる親御さんには「もうこの年齢なので手放しましょう」(本書の別の章参照)というアドバイスするのですが。
今後も、この個別化の流れはとどめることは難しいかもしれません。けれども、そのような流れの中で、私たちはいかに「孤立と孤独」を避けるシステムや社会を作っていけるのかが問われていると言えるでしょう。
ただし、これ以上子育てに手間をかけろなんて言うと、さらに少子化は進んでしまうかもしれません。その意味では「塾や勉強に手間をかけるのではなく、大人も子どもと一緒に遊ぶ時間を増やしましょう」という提言をしたいと思っています。
以上