私たち現代人は「着ぐるみ」的な生き方を強いられていると言えます。
「着ぐるみ的な生き方」とは、現代の若者に代表される傾向として、「ソフトで人当たりのいい」、「平和主義者」として世の中から逸脱せず、「個性的」と言われるような悪目立ちはせず、「いい人」としての生き方を強いられている生き方です。
それはまるでゆるキャラの着ぐるみを着ているような状態で、本当の自分とは別の姿です。そしてその着ぐるみの中はじつはとても暑かったり、暗かったりで、孤独でネガティブになりやすい状態です。着ぐるみはしゃべることを許されず、中でひっそりとつぶやく言葉は、驚くほどネガティブだったりするけれど、それを誰にも言えないので、SNSなどでこっそりつぶやくしかないのです。
そして、この着ぐるみはいろいろと身に着けているものは多いのに(というかだからこそ)、案外不安定で余裕がありません。着ぐるみ同士でうっかり近づきすぎて、ハグしたり支えあおうとしたりすると共倒れにもなりかねません。なので、少し離れたところから両手を精一杯振るしかないのです。つまり、あまり「心から共感」したり「コミット」したりするのは、とても危険なことなのです。そして「みんな人それぞれだし・・・」と思っているのです。このことがさらに着ぐるみさんたちの孤独を深めているのかもしれません。また、この着ぐるみの中で誰にも見えない「傷」を抱えて、それがずっと癒されないままになって痛み続けていることも多いのです。
カウンセラーとしての私は、このような現代人が着させられている(着るしかない)着ぐるみを、まずは着ぐるみそのものとして理解して支援し、さらにその中に入っているのはどのような人なのかを推測しながら、共感的に支援するという営みを続けています。
世の中では実際に近年、着ぐるみやゆるキャラが全国的にとても人気を博していますが、私自身はいつも「中の人」のことが気になってしまいます。とりあえずその場では人気者だったり喜ばれていますが、それはあくまでも「着ぐるみ」が喜ばれているだけです。そして、そのことは着ぐるみを着ている当人が一番強く感じていることなのです。
この「中の人」は、自分でどんな着ぐるみ(時にゆるキャラ)を着ているかはわかっていても、中の人として本当は何を感じているのか、何に苦しんでいるのか、そしてなぜこのような状態になっているのかは、よくわかっていない場合が多いのです。なので、カウンセラーとしては、ご本人の言葉と振る舞いをたよりに、ご本人も気づいていなかった「中の人」を理解して、できるだけ無理なくその人らしさが生かせる形で支援しようとしています。
こういったいわば「できるだけ温かくて共感的な理解」こそが「カウンセラーの分析術」だとも言えます。なぜならそのような「温かくて共感的な分析」こそが、実際の支援としても有効だからなのです。つまり、「温かくて共感的な分析」を通じて、上記の「着ぐるみ」が、だんだんと薄くなって、被り物だけでも外せたり、全身がせいぜい透過性のいい(ゴアテックスの)レインスーツくらいになっていけるのです。